突然、昭和天皇の誕生日は「みどりの日」、明治天皇の誕生日は「文化の日」なのになぜ大正天皇の誕生日は休みじゃないのか(もしくは知らないだけなのか)と、疑問に思ったので調べてみた。
まずは現行の祝日に関して、
その前に祝日に関して、祭日という言葉も使っているが法律の中には祭日という言葉は出てこないようです。 祝日は昭和23年7月に制定された「国民の祝日に関する法律」によって決められたもので、大日本帝国憲法の時代には「皇室の祭典を行なう日」というような意味があったようです。
現行の祝日の由来は月光天文台さんの暦祝日に良くまとめられています。
みどりの日 4月29日
「自然に親しむとともに、その恩恵に感謝し、豊かな心を育む」
在位64年と歴代最長となった昭和天皇のお誕生日です。
戦争、敗戦、復興、繁栄と未曽有の歴史をたどった昭和の記念日といえるでしょう。新しく祝日法が制定されるとき、明治天皇の誕生日が文化の日として残された例にならっています。
文化の日 11月3日 「自由と平和を愛し、文化をすすめる」
明治時代の天長節、昭和になってから明治節と称された明治天皇のお誕生日です。
天長節の名称は奈良時代に初めてみられ、明治3年に復活したもの。趣旨はやや抽象的ですが、この日は新憲法の公布の日にもあたり、前半はそのスローガンである「自由と平和」をとり、後半は明治時代の近代化政策により、飛躍的に社会の生活・文化が発展したことをふまえています。まさに明治と新生日本を記念する日です。
昭和・明治天皇の誕生日に関しては、それぞれ祝日になっていますね。 でも、11月3日は日本国憲法の公布を記念した日となっていて、公布を明治天皇の誕生日と合わせたと考えた方が良さそうです。
ここでもやっぱり発見できなかった「大正天皇」の文字。 誕生日は8月31日。 休みでもなんでもない日ですね。 それどころか学生にとっては夏休み中。 うーむ。
GyouseiNetが公開している休日の変遷をみると、11月3日は明治には「天長節」、大正で祝日ではなくなって、昭和に入って「明治節」になり、戦後「文化の日」となったことがわかります。
気になる大正天皇はもちろん大正にはいると「天長節」として祝日になっています。 ……が、大正2年以降は10月31日になってる! (参考 リトルのページ:「文化の日」は何の日) やっぱり夏休み中は不評だったのかな? (そもそも大正の夏休みってどのくらいあったんだろう?)なんにせよ、大正天皇はこういう意味で不遇だったのかも知れないですね。
大正天皇の天長節由来の休日(8月31日か10月31日)が現在無いのは大正天皇は政治的にあまり力が無く、病弱であったためその公務はほとんど皇太子(昭和天皇)が行なっていたという事実もあるようでこの辺が原因になっているのかも知れないですね。 本当のところはわかりませんでした。
最後におまけ。
「の」の付く祝日は…(ページ下の方) [レルネット]
日程上の必然性(この日でなければならない)があるのは、元日(1月1日)と憲法記念日(5月3日)と天皇誕生日(12月23日)の3つだけである。あとの祝日は、どの日がどの日になったっておかしくない。だが、ここに日本の祝日の秘密を解く鍵がある。これらの3つの祝日には、「○○の日」という「の」が付いていない。そのものズバリである。その他の祝日には、全て「○○の日」というように、「の」が付いている。これは、成人の日やこどもの日同様、「○○の記念日」といいうよりは「節句」に近い感覚である。
~の日といっている祝日には日程に必然性がないということです。 なるほど。 文化の日は微妙にありそうな気もするんだけど。
また、文中で話題になっている「建国記念の日」は戦前の「紀元節」にあたり、紀元節は「日本書紀の神武天皇即位日を太陽暦に換算したもの」だったそうです。 で、制定の時に相当揉めたらしく「国民の祝日に関する法律」には記載されていなくてこの日だけ別の政令という形で祝日になっているという曰く付き(?)の日です。
結局大正天皇の誕生日がどうして休みではないのかわからなかったんだけど、大した意味はなさそうだ。 という印象だった。 今から休みにするのも大変そうだし、8月31日では経済効果が生まれにくいというのもこのご時世あるのかも知れない。
ハッピーマンデー法をみればわかるけど、祝日を決めるんだって政策のひとつなんですね。 それもどうかなーと思いますが。
長々とココまで読んで下さった方、おつきあいありがとうございました。
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